Vim昔語/未来編

人は歩みを止めないし止めるべきではない、そんな明日への話。Vim昔語、最終話。

昔語で未来編とはどういうわけだ、というツッコミは甘んじて受ける。人は歩みを止めないし止めるべきではない。常に何事にも一歩を踏み出す勇気が必要、そんな明日への姿勢を新たにした思い出話。

2008年秋の早朝、私は赤坂プリンスのロビーにいた。緊張していた。話はその数ヶ月前にさかのぼる。Bramから個人的にメールが来た。

「秋に東京に行くんだけど会えないか?」

「いいね、ぜひ会おう」

Bramが毎年一ヶ月ほどを世界のあちこちへ旅行していることは知っていた。この年は日本だった。私は彼が自分を気にとめていてくれて声をかけてくれたことがとても嬉しくて、軽い気持ちで会う約束をした。そしてBramの宿泊先ホテルの上階のレストランで朝食をとりながら歓談しようということになったのだ。

ロビーの電話でBramを呼び出し、彼を待ってる間も胸中は複雑だった。メールでしかやり取りしたことのない一生会うことのなかったかもしれない相手と直接会える喜びと、メールや翻訳程度は苦ではないが会話などまともにしたことのない英語力への不安とでゴチャゴチャだった。しかも助けは誰一人いない。会うと安請け合いした数ヶ月前の自分を呪ったりもした。なお高校時代の英語の試験は一回を除いて全て赤点&追試だったと付け加えておく。

エレベーターから降りてきたBramはとにかくデカかった。私の身長は170cm弱と大きくないので、見上げるBramは2m近いんじゃないか。歳を重ねているため、よく目にする若い頃の写真のイメージとはかなり違うが、漂う知的な雰囲気に同じところがあった。

挨拶と握手を交わす。手の大きさは今も覚えている。お土産にと用意した浅草の小桜のかりんとうを、異文化への理解が深い彼は喜んで受け取ってくれた。彼からはスイスのチョコレート(BramはスイスのGoogle勤務だ)をいただいた。海外のチョコレートの日本とは根本的に異なる風味が大好きな私は、必要以上に喜びを表現していた気がする。

告白しよう。その後、何を話したか正確には記憶していない。ちゃんと応対できていたかも怪しい。さらに惜しいことにもう今では食べられない赤坂プリンスの朝食ビュッフェの味すら記憶にない。

しかし楽しい笑いの絶えないひとときだった。前日訪れた谷中の風景をとても気に入ったこと。ビルに囲まれた景色は世界中どこでも一緒だということ。「赤坂」と「浅草」の発声、区別が難しいこと。今日は鎌倉をみて、そのあとは関西に向かうこと。シーズンなので台風が心配だが、それを含めての日本だということ。ほうっておけばPCばかり触っていること。この旅行では電子機器を一切封印していること。最新のVimスクリプトはPythonからの影響が強いこと。Vimの将来のメンテナンスの話。そしてVimという素晴らしい仕事への感謝と、それを通じて出会えた喜びを。

楽しい時間を過ごした後、朝食を提供するレストランの最後の客になろうかという頃、私たちはわかれた。私はその足で出勤し、Bramはたぶん鎌倉へ向かったのだろう。日本を楽しんでくれただろうか、台風は大丈夫だっただろうか、かりんとうは口にあっただろうか。もっと英語ができれば、もっといろいろ喋れたのかもしれない。

でもそれは重要なことではなかった。終わってみれば当初の不安は何だったのかと思う。大事だったのは相手に対し真摯に尊敬し興味を抱くこと。そして知り合うための一歩を踏み出す、小さな勇気。

独自改変バイナリを配布するために、ほとんど初めての自分の意志で書いた英語のメール、その送信ボタンを押すときのあのためらい。あれを超えるのに必要だったのは本当に小さな勇気と決断だったけれど、それらの積み重ねが今に、さらに明日へ繋がってゆく。今後、何か行動するのをためらうようならば、この経験が一歩を踏み出す次の勇気になってくれるだろう。きっと踏み出せば違う景色が見えてくるから。

そして私の手元にあったのは過去の勇気へのご褒美とも言えるチョコレート。…チョコレート、とても美味しかったです。

以上、Vim昔語はおしまい。

ちなみに食事している時の目線はBramとほとんど変わらなかった。うわっ… 私の座高、高すぎ…?