勉強会の美味しさの裏に

前に書いた「勉強会」についてのエントリーにお返事をいただいたのでもうちょっと考えてみた。

前に書いた「勉強会」についてのエントリーに対して @hanazukin さんからお返事をいただいた。 当該エントリはコチラ ≫ http://d.hatena.ne.jp/hanazukin/20110323/1300845536 そこからもう少し考えてみる。

新たな疑問

当該エントリを読んでみると勉強会について別の疑問が首をもたげてくる。

  • 勉強会の開催自体が目的化してないか?
  • そもそもの目的は勉強会以外で(より高効率に)達成できないのか?

このエントリに出てくる勉強会には筆者自身の勉強会以外の 「子供をもつ親に対して有害サイトへの対策を啓蒙する」 という非常に立派な目的がある。 この目的には勉強会の開催という手段は 非常にマッチしていて効率が良いと思われる。

# 筆者はそのようには書いていないが、そのように読み取れる

また勉強会で得た副次的なスキルを評価してくれる環境(社長)に恵まれ 筆者は実際に転職を果たすという決断/行動をしている。 あらゆる意味で私が考えを巡らせている、上記の疑問を投げかけたい勉強会及び参加者 とは対局にあり、おおよそ理想的なお手本のようだ。

問題にしたい勉強会

だが私が問題にしているのはそういう勉強会ではない。

  • 勉強会の開催自体が目的化したモノ
  • そもそもの目的は勉強会以外で(より高効率に)達成できるモノ

そういう勉強会が多くなっているのではないか、という懸念である。 これは特にIT系の勉強会を念頭においている。

IT系の勉強会であれば本来の目的はスキルの習得や向上である。 でも経験的にIT系スキルの習得や向上には勉強会は必須ではない。 それどころか当人の階梯(関連スキルの習熟度)によっては、 独学や実践のほうがはるかに効率が良いことも多いだろう。

# もちろんあるスキルや階梯次第では独学のほうが効率が悪いことも考えられるが、それはそれ。

にも関わらず勉強会がもてはやされ、 そこに参加しようとする者のモチベーションはどこにあるのか。 モチベーション自体に矛盾はないのか? それが私の興味の本質であるようだ。

ある仮説

勉強会を捉えるにあたり、そのモチベーションとしてこんな仮説はなりたたないだろうか?

  • 単純に勉強会自体がステータス化してる
  • 勉強会に参加するオレ/アタシは無条件でエライ!
  • 努力する自分に酔っている

これが趣味や自己満足目的で、当人も理解しているならなんの懸念もない。 そのことは前回のエントリにも書いた。

しかしコトがIT系勉強会なら、趣味や自己満足ばかりとは言えないだろう。 目標として何らかの自己実現があり、その手段としてスキルが必要。 そのスキルを習得するために勉強会に参加する。 ところが勉強会に参加しているうちに上記のモチベーションにすり替わる。 結果、勉強会に参加することが目的=自己実現となってしまう。

全員ではないにせよ、勉強会の参加者の多くに こんなことが起こっている気がしてならないのだ。

と、今はここまでにしておく。